Bye Bye My Friend

サルタヒコ復活編

http://shop.frontierworks.jp/detail.asp?merchcd=POARO-0004


大人の都合で収録というカタチになった「Bye Bye My Friend」ですが
エンドレスでこいつを聴きながらのび太の宇宙開拓史を読んでると非常に良い感じなのです


俺達の世代は非常にドラえもんの洗礼を受けてSFに手を出した奴が多い
ドラえもんは良質なジュブナイルであると言えるのではないかと思う
特に大長編ドラえもんは非常に優れたSFであり子供にも分かり易いものになっていた


大長編ドラえもんの代表作というとなんだろう?
世代の違いもあるのでしょうが「海底鬼岩城」「鉄人兵団」「魔界大冒険」「雲の王国」あたりを最高傑作とされることが多い


大長編ドラえもんのリストをちょいとはてなのキーワードからから拝借してみよう
ちなみに青字は筆者のものです

映画ドラえもんの原作漫画。

  1. のび太の恐竜(1980年公開)
  2. のび太の宇宙開拓史(1981年公開)
  3. のび太の大魔境(1982年公開)
  4. のび太の海底鬼岩城(1983年公開)
  5. のび太の魔界大冒険(1984年公開)
  6. のび太の宇宙小戦争(1985年公開)
  7. のび太と鉄人兵団(1986年公開)
  8. のび太と竜の騎士(1987年公開)
  9. (のび太のパラレル西遊記)(1988年公開)
  10. のび太の日本誕生(1989年公開)
  11. のび太とアニマル惑星(1990年公開)
  12. のび太ドラビアンナイト(1991年公開)
  13. のび太と雲の王国(1992年公開、ちなみに原作は途中で休載し幻の四号くらいで休刊になった雑誌「ドラえもんクラブ」で後編を執筆掲載)
  14. のび太とブリキの迷宮(1993年公開)
  15. のび太と夢幻三剣士(1994年公開)
  16. のび太の創生日記(1995年公開)
  17. のび太と銀河超特急(1996年公開)
  18. のび太のねじ巻き都市冒険記(1997年公開、この原稿を執筆中に藤子・F・不二雄先生急逝、氏が手掛けた大長編ドラえもんとしては最後の作品になった)
  19. のび太の南海大冒険(1998年公開)
  20. のび太の宇宙漂流記(1999年公開)
  21. のび太太陽王伝説(2000年公開)
  22. のび太と翼の勇者たち(2001年公開)
  23. のび太とロボット王国(2002年公開)
  24. のび太とふしぎ風使い(2003年公開)
  25. のび太のワンニャン時空伝(2004年公開)


*「ぼく、桃太郎のなんなのさ」(ちなみに1981年公開で21エモンと二本立ての同時上映のため中編くらいの扱いになってます)は大長編ではなく、また「のび太のパラレル西遊記」に原作漫画はありません。

間違ってるところもあるかもしれませんが
気にするな
個人的な事情では「創生日記」が最後に映画館で観た大長編ドラえもんです


大長編ドラえもんは「大長編」と言いつつ例外なく単行本一冊である
一冊の単行本に高濃度で緊張感のあるドラマツルギーと高度で分かり易いSFを凝縮している
むしろその壮大なスケールのストーリーが単行本一冊に圧縮されているのが
大長編ドラえもんの魅力ではないだろうか?


これまた個人的な見解になってしまうかと思うが
大長編ドラえもんは高レベルを維持しながらもクオリティを上げていき
その頂点が「雲の王国」だったのではないかと思う


「大魔境」からオカルト的な現象をうまくストーリーに取り込み
「海底鬼岩城」から段々とストーリーの構築、過程描写が高度に描き出されるようになっていく
「竜の騎士」のタイムスリップ理論を使った伏線は子供ながらに感銘を受けました


タイムパラドックス理論、民話や神話等既存のフィクション、史実とのミックス
子供にも分かり易くパラレルワールドタイムパラドックスを物語に取り入れ
高濃度のドラマと高度なSFは作品が進むに連れ洗練されたものになっていく


ただそのSFの密度が濃くなっていき「創世日記」あたりからSFとして高度化しすぎて
ジュブナイルとして観るには少し複雑で退屈なものになってしまった感があるのだ


ちなみに未見の方に「創世日記」の話を説明すると
のび太が夏休みの自由研究のためにドラえもんに泣きついて異次元にもう一つの宇宙を造り創造主になる話である…
何かこう一行で書くと非常にヤバい感じが否めない
「ねじ巻き都市冒険記」に至っては惑星間を行き交う造物主「種をまく者」にのび太が出会うというクトゥルー神話チックな2001年宇宙の旅
「『ねじ巻き都市冒険記』観たんだけどもう新興宗教みたいになってるね」とは伊集院光談…


大長編ドラえもんの魅力はあくまで「王道」なのだ
強大な敵に挑む勇気、仲間を自らの身を挺してまで守る友情、異文化を超え芽生える人間愛…
大長編に限らずドラえもんという「ジュブナイル」の最大のテーマは「大きな意味でのヒューマニズム」なのである


手塚治虫火の鳥を描いたように
ペンが円熟したものになっていくとやたら創造主云々のスケールの大きい話を描こうとするようになるのかもしれない
そこら辺はあくまで凡人の俺には知る由もない領域である…


話を戻すと「宇宙開拓史」はまだ大長編ドラえもん草創期にあり
SF的な要素が薄くストーリーの密度自体も薄い
客観的に見て決して駄作とは言えないのだが
一言で言ってしまえば「地味」なのである
ドラえもんの核となる部分の骨格はしっかり持っているのだが
それを飾るデコレーションの華やかさが他のモノと比べると薄いのだ
それ故か「宇宙開拓史」は決して“秀作であるが一番にはなれない”存在であるのだ


しかしむしろそれが故に宇宙開拓史は魅力的なのだ
大長編ドラえもんのコズミックヒューマニズムの形成はむしろ宇宙開拓史から始まったのでは無いかと思う
突然の日常から逸脱、奇妙な世界と奇妙な生物達、そして異次元の住人との出会いと永遠の別れ、仲間との戦い…大長編ドラえもんにおける大枠の魅力を決定付けた作品ではないかと思う


なぜかってゴーストがそう囁きかけるのよ
宇宙開拓史は王道を行ってる…いや、むしろ王道しか通っていないのだ
突然開いた空間の歪みから遭遇した少年ロップル
二人は「まるでずっと昔から友達だったみたい」と語り合う
のび太達はジャイアンスネ夫*1とケンカ別れしてしまう
そしてロップルの住むコーヤコーヤ星がガルタイト鉱業に侵されつつあるのを知り戦いを決心する
やがてケンカ別れした仲間の助けにより友情を互いに確かめ合う
のび太はあやとりの次に得意な射撃で雇われ用心棒ギラーミンと戦う決意をする
勇気や友情、人間愛が大長編ドラえもんシリーズ中最もストレートに描かれていると言って良いと思う


「僕の部屋の下には友達が居る」Bye Bye My Friendの歌い出しだが
畳を上げた床下に超空間への出入り口があるというのは本当に名演出だと思う
ドラえもんは何かとのび太の部屋から物語が始まることが多いのだ
まだ視野の狭い子供にとって非常に分かり易く、又感情移入もしやすい
ドラえもんの第一話のび太の勉強机の引き出しから突然ドラえもんは登場する
小学生の頃何気なく勉強机の引き出しから何か出てこないかと期待した
そんな思い出のある人も多いんじゃないかと思う


そして超空間との繋がりが消えていく過程の描写を
入り口同士が空間の中で遠ざかるように描く
これがまた名演出である
子供心にもう空間の繋がりが消えてしまうという恐怖感と
次第に迫っていくのび太とロップルの永遠の別れを感じさせるのだ
空間の入口がやがてただの床板に戻ったとき
登場人物の五人はそれを悲しむというより茫然自失とした表情を浮かべる
これが子供心に寂しさを喚起させるのだ


大長編ドラえもんは常に「新しい友との永遠の別れ」が毎回一つのテーマになっているが
特にあの空間が揺らぐ得体の知れない現象により宇宙開拓史は印象に残る
「じゃあまたな」と言って別れるのではなく
本当に人と人を繋いだ線が消失してしまうのだ


貶してるように見えるとアレなのだが
POAROの楽曲のテーマはある程度はコアなのだが
「オタクにとっては常識」くらいのものが多い*2
「USO8OO」でも「さようならドラえもん」と「帰ってきたドラえもん」という
ドラえもんファンにとっては語り尽くされた感さえあるものを持ってきたし
敢えて「宇宙開拓史」を持ってきた「Bye Bye My Friend」にPOAROのオタクごころをくすぐるものを感じるのだ…

*1:ATOKだと一発変換できるんだ

*2:広川太一郎辺りかなりコアだが…